『楢山節考』で考える見栄心の問題点~自分の幸せを奪う習慣~
はじめに
◆目次
毎日様々な犯罪がニュースで流れています。
強盗、詐欺、暴力、殺人など、人間の尊厳や生命を脅かすような行為が後を絶ちません。
そんな犯罪者たちの動機や背景には、さまざまな要因があるでしょう。
しかし、その中には『見栄』というものが大きく関係している場合が少なくありません。
見栄とは、自分の実際の能力や資産よりも高い水準を他人に見せようとすることです。
虚栄心、粉飾、虚勢などとも言われます。
見栄を張る人は、自分の価値や幸福を他人の目によって決められてしまっていると言えます。
自分自身ではなく、他人からどう思われるかが重要になってしまっているのです。
見栄を張ること自体は、必ずしも悪いことではありません。
社会的に適切な範囲内で見栄を張ることは、自己肯定感やモチベーションを高めたり、周囲とのコミュニケーションを円滑にしたりする効果があります。
しかし、見栄を張りすぎると、自分の本当の姿や感情を隠したり、無理をしたり、嘘をついたりするようになります。
そして、それが犯罪につながる可能性もあります。
この記事では、見栄を張って犯罪に走る人々の心理について考えてみたいと思います。
その際に参考にするのは、昭和初期に発表された小説『楢山節考(ならやまぶしこう)』です。
この小説は、貧しい農村で暮らす老夫婦が他人の芋畑から芋を盗んで捕まってしまうという物語ですが、その背景には見栄が大きく関係しています。
この小説から何が学べるのでしょうか?
※月日を経た作品のため、様々な媒体での改変などにより、ストーリーやニュアンスに違いがあるので予めご了承ください。
『楢山節考』と見栄
『楢山節考』は、1937年に発表された小川未明の代表作です。
この小説は、貧しい農村で暮らす老夫婦・伊之助とおりんが他人の芋畑から芋を盗んで捕まってしまうという物語です。
しかし、彼らが芋を盗んだ理由は単純な飢えではありませんでした。
彼らは長男・政五郎に頼って暮らしていましたが、政五郎は妻子と共に東京へ出稼ぎに行ってしまいます。
その後、政五郎からは一度も連絡がありませんでした。
伊之助とおりんは、政五郎が東京で成功していると信じて待ち続けますが、実際には政五郎は失業して路頭に迷っていました。
伊之助とおりんは、政五郎が帰ってくる日を夢見て、村人に対しても見栄を張ります。
彼らは政五郎から送金があると嘘をついたり、東京の話を盛ったりします。
しかし、その見栄は彼らの生活を苦しくします。
彼らは食べ物や衣服にも困りますが、それを誰にも言えません。
そして、政五郎が帰ってくるときに食べさせるために、他人の芋畑から芋を盗むことになります。
しかし、その芋泥棒が発覚してしまいます。
伊之助とおりんは村人に非難され、警察に連行されます。
そして、彼らは自分たちの見栄の虚しさに気づきます。
彼らは政五郎のことを思いながら、涙を流します。
見栄と犯罪の関係
『楢山節考』の伊之助とおりんは、見栄を張って犯罪に走った典型的な例と言えます。
彼らは自分たちの現実を受け入れることができず、他人の目を気にして嘘をつきました。
そして、その嘘を維持するために、他人のものを盗みました。
彼らは自分の欲望や幸福ではなく、他人の評価や期待に応えようとしました。
しかし、彼らだけではありません。
現代社会でも、見栄を張って犯罪に走る人々がいます。
例えば、いわゆる闇バイト(使い捨て犯罪)ニュースでは多くの犯人がギャンブル・キャバクラ・高級車・ブランド品に金を使っています。
これらの犯人たちは、自分の本当の収入や生活水準では満足できず、他人に対して豊かで派手なイメージを作ろうとしました。
そして、そのイメージを維持するために、違法な仕事や行為に手を染めました。
また、見栄は暴力や殺人などの重大な犯罪にも関係しています。
例えば、自分のプライドや地位を傷つけられたと感じた人が相手に復讐したり、自分の権力や支配欲を示すために他人を虐待したりする場合があります。
これらの犯罪者たちは、自分の価値や尊厳を他人から奪われたと感じています。
そして、その感情を取り戻すために、他人の価値や尊厳を奪おうとします。
見栄から抜け出す方法
見栄から抜け出す方法は何でしょうか?
『楢山節考』の伊之助とおりんは、最後に自分たちの見栄の虚しさに気づきましたが、それはあまりにも遅すぎました。
彼らは自分たちの人生を台無しにし、政五郎との再会も叶いませんでした。
彼らは見栄を張ることで自分たちを苦しめるだけでなく、他人にも迷惑をかけました。
見栄から抜け出す方法は?
一つの方法は、自分の本当の姿や感情を受け入れることです。自分に嘘をつくことは、自分を尊重していないことになります。
自分の能力や資産、欲望や幸福は、他人と比べる必要はありません。
自分が自分であることに誇りを持ちましょう。
他人の目を気にしないこと
もう一つの方法は、他人の目を気にしないことです。
他人の評価や期待に応えようとすることは、自分の心を縛ることになります。
他人の目は常に変わりますし、自分にとって本当に大切な人は限られています。
自分が何をしたいか、何が幸せかを考えましょう。
おわりに
この記事では、見栄を張って犯罪に走る人々の心理について考えてみました。
その際に参考にしたのは、昭和初期に発表された小説『楢山節考』でした。
この小説からは、見栄がどれだけ人間の生活や心を苦しくするかがよくわかります。
見栄を張らないことのメリット
最後に、見栄を張らないことのメリットを挙げましょう。
- 見栄を張らないことで、自分の心に余裕が生まれます。
- 余裕があると、自分の成長や学習に向き合えますし、他人との関係も良好になります。
- また、見栄を張らないことで、犯罪やトラブルからも遠ざかれます。
- 見栄を張ることは、自分や他人にとって何の利益もありません。
見栄は人間の本能ですが、それをコントロールすることもできます。
見栄を張らないことは、自分や他人に対する尊重や愛情の表れです。
見栄を張らないことで、自分も他人も幸せになれる可能性が高まります。
見栄から抜け出す方法は簡単ではありませんが、挑戦する価値はあります。
見栄から解放された人生は、きっと素晴らしいものになるでしょう。
それでは宝健勝TIMEを読んでくれてありがとうございます。
皆さんも良い一日を!
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